これは僕の妻の話である。と言いたいところだが、妻が雇ったメイド。その人がある種の主役である。僕はただの記録係―ある意味では、ある種のエッセイストとも言えるかもしれない―として位置する。はずだが、どうなるかはわからない。
 思い出した話から、昨日や今日起きた出来事を、好き勝手に記述していく。何のために書くのか。妻が、「俺がいない間、美雪ちゃん(メイドが持つ名である。当初、僕は”みゆき”という名を苗字だと思っていた。僕が読んでいる野球漫画に、御幸という苗字の捕手が出てくるからだ。)からお前が何を言われたか、記録しておいて。俺の友達に読ませるかもしれないから、一応、そのつもりで。」などと言ったからだ。
 妻が用いる一人称は俺であり、メイドの美雪ちゃんが使う一人称は私。そして、記録係としての僕。各々が異なる一人称を用いていることは、この記録において好都合である。ちなみに、妻は美雪ちゃんから、「ご主人様」と呼ばれる。僕もいずれ、ご主人様と呼ばれたいのだが。

 そして、僕が「妻からの司令」を遂行できるのかどうか、些かの不安がある。記憶力には自信が無いからだ。しかしながら、僕にとって重要、あるいは、面白いと感じるような事案であれば、覚えていられるだろう。少なくとも、2017年における岡田幸文の打率よりかは、確率は高いはずだ。



 1を妻に読ませてみたところ、「何を言ってるのかわからん」という反応を戴いた。まあ、仕方無い。僕は僕でしかないのだから。やれやれ、僕は買ったばかりのパイプに詰めたセント・ジェームズ・フレークに火を点けた。

 さて、本題に移ろう。今日言われた言葉はこれだ。

 「はぁ、ご主人様は、何が良くて、こんなクソむしと結婚したんでしょう……。私の方が良い結婚相手ですのに……。まあ、ご主人様の決定は絶対ですから……。」

 僕は「あるいは」と返事して(某小説家の作品によく見られる返事である。特に意味の無い返事だろうと思う。)、そのままゲームの世界に戻った。『実況パワフルプロ野球15の栄冠ナイン』でピンと来る人にはピンと来ていただければいいし、あるいは、知らなくても構わないのだが。

 さて、妻は何故、僕にあんなことを命じたのだろうか。理由を尋ねてみたところ、「俺も美雪ちゃんからクソむしと呼ばれたいから、その参考に。」とのことだ。わからない。何が嬉しいのだろうか。サッパリわからない。とりあえず、マゾヒストか何かなのだろう。
 そんなことも知らず、美雪ちゃんは妻に懐いている。隙あらば抱き着いて、愛の言葉を囁いている。僕はその光景を見る度に、妻と結婚して正解だったと思う。

 ちなみに、「頼めば呼んでもらえるんじゃない?」と訊いてみたところ、「美雪ちゃん相手にそんな、恥ずかしい」と返ってきた。ますますわからない。「代わりに頼んでみようか」と訊いてみたら、「一応……。」と返ってくる。難しいものだ。



 「ご主人様がそんなことを言う訳無いでしょう?このクソむし」と返ってきた。なんなら殴られそうだったが、殴られた跡でも残そうものなら、きっと妻に嫉妬されて面倒なことになる。その嫉妬はおそらく、薔薇の棘のように僕を突き刺すはずだ。つまり、危険である。
 「恥ずかしいから言えないんだってさ」と言うと、「クソむしは嘘つきでもあるのですね……。クソむしがご主人様の夫というだけでも重罪ですのに……。」などとボソボソと言った。運良く僕はそれを聞き取り、そして、こうして記録している。

 ひとまず、「両方共ご主人様だと紛らわしいけど、僕がクソむしと呼ばれなくなったらどうなるのだろう」などという懸念は、意味の無いものとなったと考えていいだろう。

 ちなみに、妻は非常に面白い人間だ。家には仕事を持ち込まない主義とのことだが、とりあえず金を稼いでいることはわかる。そして、共感性が薄い(ミラーニューロンが弱いとも言い換えられる)ことから、組織内での権力を強く持っていることも推測できる。
 そして、高い知能を持っている。そして、男性的、ある種では、父性を持った存在である。理想の父親ランキングに出たら、うっかりランクインしてしまうのではないか。そう思う時もあるが、生憎、妻はテレビに出たがらない。そして、出ない。
 ちなみに、僕の家庭内でのポジションは、「家事をしない主夫」である。家事は全て、メイドの美雪ちゃんがやっている。ただ、何もやらなくていいというわけでもない。この記録も、僕の家庭内での役割である。

 あと、今気付いた。クソむしと嘘つきで韻を踏める。ラップの際、便利だ。しかいながら、ラップについてはよくわからないのだが。



 「おいクソむし、掃除の邪魔だから、どっか行って来い」

 メイドからの有難い言葉(ついに、敬語を使われなくなったということを、無意識に受け入れていたことに気付いたのは、だいぶ後の話である)を戴き、僕は外出した。タバコ屋でパイプを選ぶとしよう、ということで。
 妻と結婚してからというものの、僕のパイプコレクターとしての才覚が開花してしまった。妻から毎月毎月、結構な額を戴いているからだ。ちなみに、妻も美雪ちゃんもパイプを吸う。
 ちなみに、葉巻は性に合わない。何故なら、湿度管理などいうものは誰もできないからだ。時々、湿度管理の必要無いドライシガーは吸うものの。

 それにしても、妻と美雪ちゃんのキス、美しいんだよなぁ……。永久に見ていたい。と、歩きながら思っていた。そして、良いパイプを買えた。



 「あのさぁ、お前さぁ、そんなこと考えてたのか。」と、4までを読んだ妻が言った。「どのこと?」と訊くと、「キスだよキス。お前さ、そんな目で美雪ちゃんを見てたのか。」と、お怒りであった。
 「そういう目で見れば、美雪ちゃんからクソむし扱いしてくれるんじゃない?それも、僕の前で。」と言ってみた。頷いた妻は実行し、そして、美雪ちゃんの目がいつもと違った。僕の目も忘れて、美雪ちゃんは妻の身体を貪っていた。とても美しい。



 翌日、3人での会話は重々しい雰囲気であった。妻が居心地悪そうにしているのを見た。「話と違うじゃないか」という目線がこちらに送られたような気もしたが、まあ、気のせいだろう。
 妻からすると、美雪ちゃんに踏まれたいらしいのだが、美雪ちゃんはそんなことをしたくない。できることならば僕を排除した上で、妻ともっと親密な関係―それこそ、恋人とか―になりたいのだろう。

 その後、妻に確認を取ってみたのだが、やはり、マゾヒストなのだそうだ。ただ、マゾヒストとしての才覚を発揮するのは、相手が綺麗な女性の場合に限るとのこと。僕との関係性は、よくもわるくもフラットだ。結婚の理由も「戸籍上男で、親友と呼べる奴だから」くらいの感じだった気がする。男女の関係よりも、ボーイズラブに近いかもしれない。外から見たら、どう見えるんだろうか。
 僕としては、生活の保証さえしてくれれば何だって良いのだけど。いや、最高に面白いってのもあるのだけど。「面白い」がメイン。
 ちなみに、セックスレスとやらではない。よくもわるくも、僕が身に着けてきた技に頼りがち、なのだが。

 そして、「綺麗なメイドさんを雇って、マゾヒストとしての快楽はそちらで味わおう」などと思っていたらしいのだが、そういうわけには行かず、そして、「夫がクソむしと呼ばれている」という状況にあるため、日頃から僕は嫉妬の対象になっている。僕が要らないと思うもので嫉妬されるのは、少し困る。
 僕は僕で、美雪ちゃんの髪に触りたいのだ。それを叶えたいという点では、僕も妻に嫉妬している。そして、妻は髪に興味が無い。ちなみに、妻の髪を洗うのは僕の係だ。ただ、美雪ちゃんの髪の方が、綺麗だ。触りたい。

 よくよく考えたら、この3人で欲求を叶えているのは、美雪ちゃんだけなんじゃないか。確かにそうだ。妻の身体を好き勝手にしてるじゃないか。いや、僕もしてるけど、それよりも、美雪ちゃんの髪に触りたいのだ。

 ちなみに、僕が美雪ちゃんから暴行を受けていない理由はただ1つ。妻の指示により、止められているからだ。何故止めているか、本当は、「羨ましすぎて耐えられないから」だそうだ。



 妻が美雪ちゃんのスカートを捲った。それを眺めていた僕に対して、「おいクソむし、見るな」と美雪ちゃんが取り出したばかりのハーゲンダッツのように冷たい声―味の話はしていない。あくまで、温度の話だ―で言った。そして、妻はガッカリしていた。「俺に向けて言ったわけじゃないの?」と。
 そして、ガッカリした表情を美雪ちゃんが見て、「下着、違う方が良いですか?」と、恥じらいを見せながら言った。
 「違うんだ。君のご主人様はね、美雪ちゃんに蔑まれたいんだ」と口に出すか迷った僕は、何事も無かったかのように、読みかけのニオ・ナカタニに視線を戻した。

 それにしても、女と女の愛情は、面白い。自分で体験できないのが、辛いほどに。



 6で書いた「話と違うじゃないか」というのは、それだったらしい。妻は結局、「どうすれば美雪ちゃんから蔑まれることができるのか」で頭を悩ませ続けている。僕にはどうしていいのかわからない。
 とりあえず、3人でいる時に「何故、僕をクソむしと呼ぶことになったのか」を訊いてみたところ、無言で睨まれた。そして、妻に無言で抱き着いた。

 ひとまず言えることは、このままだと僕は、妻からもクソむしと呼ばれることとなるか、あるいは、この結婚生活が終了する可能性が存在するということである。つまるところ、役立たずなのだ。
 困った。しかしまあ、この役立たず加減が、クソむしたる所以であろう。人生とは、そういうものだ。