よくよく考えてみたらそうだ。現状の外のゴールだかなんだか知らんが、長生きするためには別に必要無いものである。ルー・タイスが80歳まで生きられなかったことがエビデンスとなるだろう(というか、気功ヒーリングだかでなんとかしろや、苫米地英人さんよ)。
 俺のじーちゃんの楽しみと言えば、西武ライオンズと孫の顔。あとは、妻(俺の祖母にあたる)。そのくらいだったんじゃないか。時代劇とかもあるかもしれないが、そんなもんである。
 長生きしたいなら、下手にゴールがなんだと言うよりも、目の前の楽しみを見付けた方が良い。プロ野球とかは特にそうだ。先が読めない娯楽である。しかしながら、オフシーズンになっても、来年また開催されることがほぼ確定している。「何が起こるかわからない」。それだけである。
 ただの客であろうが、大事な鑑賞者である。プロ野球があれほどまでにビジネスとして成功し、高い年俸を選手に払うことができ、優秀な選手が他のスポーツ等に流出しないのは、たくさんの客がいるからである。無理にプレーヤーである必要は無い。

 ステータスクオに縛られる人生がつまらないものであるかどうか。それは、本人が決めることだ。他の人があれこれ言うことではない。むしろ、今あるものを楽しめない状態でゴールがなんだと言っている方が不健康かつ、つまらないであろう。
 目の前のものをしっかり見られないと、側にいる人間が酷いことになるわけだし。どこかのビ・ハイア事件のように(誰が悪いとかは、もはや言及しないが)。

 抽象度の高いなんちゃらを追い求めるのも結構だが、目の前の人間、物、世界、空気をもっと味わってほしい。そこを無視するなら、早く脳幹をインターフェイスに繋げてしまった方が良い。