「で、先生。小説ってどうやって書くんですか?」

 やれやれ、この女は、僕の授業を聞いていなかったのか。


 「ねえちょっと、後頭部を見せてくれる?」
「ん?後頭部?」
はぁ、見覚えのある後頭部だ。最初見た時は「綺麗な髪だな」と思ったが、授業中に何度も見てるうちに飽きてしまった。起こすのも面倒だから、そのままにしていたが……。何故、今になって小説の書き方を訊いてきたのだろうか。っていうか、授業で喋ったし。はぁ、この女、厄介者だわな。
 
 「あのさ、僕の授業、どこが不満なの?」
話の本筋とは全く関係無いが、聞かずにはいられなかった。

「え?先生の話って難しいでしょう?訳わかんないから、気付いたら寝てるんです。あ、でも、なんだっけ、あれは覚えてますよ。 「本当は女として女と恋愛したかったけど、まあ、男に生まれたことだし、まあ、そうね、客観的に女と女を眺めることができてよかったかなぁ。あー、でもなぁ……。なんというかさー、男ってだけで警戒されるしー……。」でしたっけ?あの時ちょうど起きてたんですよ。」
「はぁ、一言一句合ってるねぇ。」ああ、その時だけこいつは起きて、こちらをじっと見ていたんだった。あの話、そんなに重要だったかね。

 「あと、先生の声、すごく落ち着くんですよ。普段は夜眠れないけど、先生の授業の時はよく眠れて。ありがとうございます。」嬉しくない感謝の言葉だ。
「はぁ。あ、僕相手に恋愛しないでね。生徒に手を出すと上に怒られるから。なんかさー、頼まれたら断りたくなくなっ……」
「気持ち悪い。やめてください。私には好きな人がいるんですから。いや、まだ私のものじゃないけど……。でも、先生からそういう目で見られるのは絶対に嫌ですからね。」
 気持ち悪い。人生で何度言われただろうか。しかしまあ、見た目が良い女に言われるのは気分が良い。何故かは知らないが。ただ、毎日言われたら、飽きるだろう。

 「それはよかった。どんな人なの?その人。」
「えっと、頭の良い人で、かわいくて、かっこよくて、綺麗で、優しくて……。胸のサイズがちょうどよくて。あとは、えーっと……。」
「あ、女性なのね。よかった。」本当に、よかった。
「ああ、先生そういうの好きですもんね。いや、だから先生に訊きに来たんだけど。」
「経験はどのくらいあるの?」
「無い。私にあると思います?ってか、セクハラですよそれ。」知るか。
「あー、確かにまあ、あなたの相手をするのは大変だろうなぁ。」
「想像しないでくれます?気持ち悪い。」
まただ。
「うーん、でも、たぶん、あなたのことを好きになってる女性は結構いると思う。まあ、あなたにその余裕が無いからね。他の人で練習しておくのもいいと思うけど。」
「嫌です。あの人じゃないと。」
 はぁ、めんどくさ。ま、そこが良いんだな。女と女の場合はね。男の嫉妬とやらは、見てられん。汚物だ、あんなもん。

 「ま、しゃーないね。頑張れ。そういえばさ、小説の書き方を教わりに来たんじゃなかったの?」
「あ、そうだった。ねえ先生、敬語使わないと怒る人?」
「好きにすれば?」
「やった。でさ、アンタさ、どーやって小説書いてるの?」
アンタぁ?ま、いいや。こういうところも、かわいらしい。その素敵な女性とやらと、どんな恋愛をするんだろう。楽しみだ。まあ、だいぶ先だろうけどな。
「えーっと、とりあえず、ここまでの話を小説っぽく書くとこうなる。」
そうして、ここまでの話を書いたものを見せた。

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 「あの、先生、これ、下手な気がするんですけど。ってかさ、気持ち悪いこと考えないでくれる?」
なんだとコラ。
「あー、いいのいいの。スルっと読めるのが大事なんだからさ。比喩表現が多いものとか、なんかそーゆーのを読みたかったらハルキの読みゃいいんだから。ってか、僕の作品読んだことないのになんで僕の授業取ってるのよ。読んでたらその感想は出てこないと思うけど。」表情に出ていなかっただろうか。まあ、いいけど。
「はー、適当なんだねぇ、作家様ってのは。アンタこそなんで、わっけわかんない授業やってんのよ。篭って小説書いてなさいよ。下手でもなんでも書いたら売れるご身分なんだから。」
 なんか酷いことを言われてる気がする。まあでも、この子にとっては事実だから仕方無いか。やっぱなぁ、教えるの、一対一の方がいいわ。僕に好きに喋らしたら、そりゃまあおかしなことになる。小説の書き方を教わりに来てるのに、坐禅やらせるわけだしな。いや、重要なんだよ、坐禅。

「言うほど金にならないんだよね。ま、いいけど。で、あれだよ。何書きたいの?女と女の恋愛についてでいいの?」
「え、金にならない?まあ、そうか。ダッサイ服着てるもんね。どーせ2000円未満でしょ?はー、先生モテないんだろうな。でさ、女と女ってのはそうだよ。ちょっと年の差がある女性との素敵な恋愛の話。」
「いいね、それ。」と、僕は即答した。いつもより早く。

 「でね、その年の差のある女性ってのは母の親友で、母はその親友と喋ってる時だけ良い顔してるの。父と喋ってる時は……。ずっと怒ってた。でね、私がさ…」
「私?」
「あ、いや、主人公がさ、」
誤魔化しやがった。
 
 「その親友と大恋愛するの。紆余曲折を経て。ひざまくらとかしちゃうわけで。あー、想像しただけで……。キスは想像するだけでも恥ずかしい。」
「あー、よかったね。で、その親友さん、レズビアンなの?」
「わかんない。母にはベッタリ触ってるから、そうなんじゃない?知らんけど。」
「知らんけど。」
関西人?いや、僕のが感染っただけか。いや、こいつは実は、授業を聞いてる?

 「ま、いいのなんでも。とりあえず、ハッピーエンドにするんだから!」
「そうか。それがいいよ。僕が書くと、なんでも後味悪く終わる。」
「だよね、知ってる。そんなわけだからさ、教えてよ。」
はぁ、読んでるのかよ。じゃあ、なんで僕に訊くの?ま、いいけどさ。

 「好きに書けばいい。それだけ。」
「は?」
「いや、だからさ、少しでも書いてくれれば、どう書いていいか教えられるからさ。書いてよ、今。いつやるのか、今でしょ。」
「先生、それ、古いよ……。原典を知らないんだけど……。」
あれ?オサムちゃん、もう古いの?ま、いいけど。

 「一番書きたいシーンはどこ?」
「キスシーン。いや、書いてもアンタには絶対に見せたくない。絶対に。絶対に嫌だ。」
「なんでだよ……。」
呆れる僕と、どこかオカシイ女の子。少女漫画でこういうシーンはある気がするが、その線が無いことに安心している。この子は、女が好き。捻じ曲げれば男好きにもできるけど、そんな野暮なことはしない。

 「じゃあ、一番書きたくないシーン。」
「死んじゃうシーン。」
「じゃあ、そこを書こう。」
「嫌だよ。なんでさっきから嫌がらせばっかするわけ?もういい、帰る。」

 本当に帰ってしまった。まあ、人生とはそういうものだ。「野球」という訳語をつくったのが正岡子規でなかったように、正しいとされていることは、簡単に崩れ去る。まるで、蹴っ飛ばされた積み木のように。

 玩具屋で泣いている子供のことを思い出した。人生は上手く行かないからこそ面白い。そうでなければ、神は、そして、脳は、こんな世界を作らない。このことを学習してくれていたら、とも思う。


 あの子にこの文章を手渡す予定だから(もし次の授業に来たら、だが。)、小説の書き方に関連する話を。この子や、オモチャ売り場で泣き出す子供のように、あなたが作ったキャラが勝手に喋り始めることがある。この会話がそうであるように、実際の会話というものは、そういうものだ。
 この世に「神の代弁者を名乗る人物」にとって都合の悪いものが溢れているように、全て望んだ通りの会話などというものは存在しない。流れというものがあるからだ。野球漫画でも、絵の出来次第で試合の展開が変わることがある。当初の予定などというよりも、流れの方が重要なのだ。

 もし、流れを無視して書いてしまうと、それはリアリティに欠けるものになってしまう。あるいは、その小説が人工物であることを、読者に意識させてしまうだろう。それもそれで、悪くはない。不自然さを楽しむための文学というものも、この世にはたくさんある。
 どうするかは、好みの問題である。そして、この世はグラデーションである。濃淡は、場面毎に調節してもいい。あるいは、調節”されてしまう”のだが。

 では、最初の一行をどうしても書けないらしいから、一行目だけ授けておこう。

 「快楽のために生きるのか。生きるために快楽があるのか。それとも……。」
僕が書いた小説の最初の一行目だ。微妙に違うかもしれない。その後に何を書くのか。それを考えてくれれば、何か思い付くだろう。

 それでは、次の授業か、次の次の授業で。