小説と、人生の遊び方。 川崎・J・悠太 (旧登録名: 川崎・G・悠太)

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2016年06月

【プロ野球選手専用】超一流の勝負師になるためのコーチング

あなたがプロ野球選手で、なおかつ、成績に納得が行っていないなら、間違い無く受けた方が良い。そういうコーチングである。特に、フィジカル的には優れているのに活躍できていないのなら(実は、そんなに優れてなかったりもするのだが)。

スポーツ選手のメンタルを鍛えるトレーナーなら、この日本に腐るほどいる。ただ彼らにできないことがある。勝負師になるための身体調整と、非言語催眠の指導である。そして、「ズルさ」と「ふてぶてしさ」を手に入れるための指導。投手であれば、「打者をいないものとして扱う」か、「投げてほしくないところにひたすら投げる」ことができれば、勝ちである。そういう能力を身に付けていただく。

身体とメンタルの関係については、わかる人には言わなくてもわかるし、わからない人にはわからない話だから特に語らない。「心と身体は同じもの(密接に繋がっている)」、「どこをいじればメンタルがどうなるかということがわかる」、ということだけは書いておこう。ポイントは、背骨。そして、偏った鍛え方をした筋肉。緊張して力が入り過ぎる場所は、ウエートトレーニングで鍛えたあの場所、かもしれない。当たりであれば、私のところに来てほしい。


非言語催眠については、「あの雰囲気」を手に入れるためのものである。打者であれば、「投手を自分の舞台に巻き込む」あの感じ、である。

「あの感覚を取り戻したい」という目的で来ていただくと、一番良いかもしれない。

料金、場所等

1回2時間程度
初回5万円、それ以降50万円。領収書が欲しい場合、銀行口座に先払いした時の明細書を領収書として使用していただくことになる。

5回程度で、ほぼ望み通りになるであろう。一応、初回だけでも良いようには組み立てている。


場所は、国分寺駅周辺のどこか、または、西武ドーム周辺の施設。指定があれば、交通費や施設使用料を出していただけるのならそちらで。

メールアドレス painlessmental@gmail.com



ちなみに、小出大輔さんがやっているコーチングの方が相性が良いであろう人も、多々いるであろうということは書いておく。参考となる記事のURLを置いておく。
http://daisukekoide.com/baseball12/

小出さんは、この他にも良い記事をたくさん書いているので、ぜひ読んでおいてほしい。小出さんの記事を読むだけで十分な結果を残せる選手も、多々いることであろう。


二軍でこのまま終わってしまうくらいなら、最後の悪足掻きをした方がよかろう。引退後のことを考えて貯金をするのも悪くはないが、それだと勿体無いと少しでも思うのであれば。


ちなみに、「プロ野球選手になりたい」と思う高校球児や大学野球選手で私のコーチング受けたい場合、別途相談してもらえればと思う。

苫米地式認定コーチ専用コーチング

何百万も出して認定講座を受講して資格を取って、それで元を取れていない。そういう苫米地式認定コーチは多いであろう。そういう人のために、苫米地英人がフォレスト出版から、マーケティングのDVDを発売している。それを見れば、問題は解決…とは行かないかもしれない。苫米地英人は、本質を見落としているのである。

コーチングの依頼が来ない原因は何かと言えば、端的に言えば、本人の面白みであったり、魅力が足りないというところにある。「私は頭がおかしい」という自覚症状が無い人であれば、間違い無くそれが正解である(そういう人の場合、世間知らずであることが悪い方向に作用していることが原因であろう。いつかの私のように)。

クライアント候補の立場に立って少し考えればわかることだが、魅力と実績の無い認定コーチがいたとして、その人に仕事を依頼するだろうか?しないであろう。マスターコーチなり、早い段階からコーチになって実績を積み上げた人、あるいは、魅力的な人のところに依頼するであろう。

実績を積もうにも依頼が来ない。それなら、魅力や面白みを磨くのが先決であろう。マーケティングが上手かろうと、マーケティングの腕が上手い人はいくらでもいる。マーケティングがメチャクチャ上手い先人もいる。そういうことである。ただ、その人の人生は、その人にしか無いものである。


「過去は一切関係無い」とは言うものの、そう発言している人でさえも、過去の話をする。ルー・タイスと会った話を自慢げにする人は、その過去を誇っている。そもそも、資格というものは、「トレーニングを積んだ」ということを誇るためにあるものである(資格を持っていることをあまり前に出さないなら別だが)。
「過去は一切関係無い」という言葉には、もっと別の、深い意味がある。


あえて私は、過去の話をメインにコーチングをしていく。その人本人が知らない、その人の人生の価値を炙り出そうと思う。それに気付ければ、その人の魅力なり深さは、増していくであろう。味わい深い人間は、苦労を糧に変えることができた人間である。どんなに惨めな人生であっても、そこには価値がある。極端な話、人を殺した経験、殺されかけた経験ですら、その深さになり得る。むしろ、それこそが、深さであろう。


また、せっかく学んだ苫米地理論の本当の価値を知らない認定コーチもいる。一旦正式に学んだ人にしか使えない方法ではあるが、ぜひ、深さを味わってほしい。苫米地理論は、浅いところだけでも理解できてしまうものである。その浅い理解を、一度崩すことにもなる。崩れた先に、宝がある。


「ああ、あのコーチはそういうことを言っていたのか」と、私はよく言われてきた。その体感を、クライアントになった方には味わってもらおうと思う。今までよりも深い形で。

私が亜流だからこそできることである。本流には、本流に抜け落ちているところは見えない。


料金 108万円
分割払いの場合、先に30万円を振り込んでいただく。残りは、徐々に払っていただければ構わない。

時間と回数 3時間×6回
じっくりと人生を振り返りつつ、様々な角度から考えていただくために、この時間設定にしている。もっと長い時間を取っても構わない。

場所は、都内某所。Skypeも可。

申し込みメールアドレス painlessmental@gmail.com

特典として、3年間メールサポートを付ける。クライアントになっていただけたら、どんなに初歩的でどんなにつまらない質問であっても、しっかりと答える。


ちなみに、7月1日以降の申し込みについては、料金を540万円にする予定である。

受講するか迷っている場合、メールでの相談にも、一応は乗る。

理論やマニュアルを作るということについて

1個前の記事に付け足し。

「科学的根拠のあるトレーニング郡を作ろう」ということになったとする。その時にできるのは、「その科学的根拠に合致するようなトレーニング郡を作る」ということと、「とりあえず作ってみて、その効果を科学的に検証する」ということ。

後者の場合、「100%の人に効果が出た」ということにならない場合、効果が出ない人が出る、ということになる。だいたいの場合、100%にはならない。誰かを切り捨てることを望まないのであれば、これは採択してはならない。失敗作である。

前者の場合どうか。たいていの場合、抽象度を下げるという動作に失敗してしまう。というよりかは、抽象度を下げるということは、対象者を減らすということである。「南無阿弥陀仏」とひたすら唱えるトレーニングは、言語を使えない人にはできない。これは極端な例だが、こういうことはよくある。「イメージする」という動作ができない人がいるということを忘れて作られたトレーニングは多い。

理論やマニュアルを作る、ということでも、同じことである。ある人にとって当たり前のことは、また別の人にとっては当たり前のことではない。それ以前に、理論やマニュアルを読み込めるような人は、少ない。

理論やマニュアルを作ろうとすると、おおよその場合、そういうことが起こる。


釈迦やエリクソンが体系的な理論を作らなかった理由は、このあたりであろう。人はひとりひとり、違う。


どうしても万人に使える理論やマニュアルを作りたいなら、ひとりひとりの違いと、人間の共通性について、もっとじっくり考えるべきであろう。特に、一般人にはできないトレーニングを、誰にでもできるものとして紹介してしまうような人は。

科学的根拠があるとはどういうことなのか 苫米地英人界隈の人向け記事

「あれには科学根拠が無い。だから、オカルトである。そして、うちの理論は科学的根拠に基づいている。」
苫米地英人をはじめとする、科学的自己啓発界隈の人からよく聞く言葉である。他の自己啓発なり成功法則を貶す時に用いられる言葉である。
それもそのはず、苫米地英人がやっていることの大半は、宗教的儀式、修行、各種催眠術の科学的裏付けである。気功や瞑想の話がよく出てくるのは、それである。

他方で、苫米地英人のやっていることを見て、「あれは疑似科学だ」、「オカルトだ」という人もいる。


では、苫米地英人がやってることは科学なのだろうか、疑似科学なのだろうか。

答えを言えば、「『科学とは何か』という問いの答えによる」というものである。その答えの公式見解は出ていない。いや、出しようが無い。
もし、「科学者がやっていることが科学である」と言うのであれば、科学者の数だけ科学がある。科学者が科学者に向かって、「あいつのやっていることは疑似科学である」と言うことも、可能である。

科学哲学者たちは、「科学とは何か」という問題について、様々な見解を出している。気になる人は、”パラダイム論争”でググってほしい。あるいは、このあたりの記事を読むか http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/t1.html

その中で、特殊な例として、ファイヤアーベントがいる。「何でもかまわない」というのが、彼の見解である。「科学はもっとも権威的な宗教である」とまで言っている。詳しく気になる人は、彼の著作を読んでみてほしい。


さて、あなたにとって、科学とは何だろうか。ちょっと考えてみてほしい。その上で、「科学的根拠」というものについて考えてみると、また違うものの見方ができるかもしれない。


ちなみに、私のやっている仕事の大半は、科学的根拠というものを相当無視している。個体差、個人差を重要視したいからである。「定理」の時点で正しいことも、「マニュアル」にまで落とし込む段階で、個人差を無視する形になってしまっているものは多々ある。ある理論、マニュアル通りにやって失敗する人が出るのなら、その理論やマニュアル自体が失敗作である。そもそもマニュアル通りにできないようなものであれば、その人にとってはそもそも無価値なものである。

「例外だから失敗した」という言い訳を、金をもらって仕事をするなら使ってはならない。私の勝手な思い込みかもしれないが。











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